特攻を拒否した飛行隊長の名言

「フィリピンで敵は三〇〇機の直衛戦闘機を配備しました。今度も同じでしょう。劣速の練習機まで借りだしても、十重二十重のグラマンの防御陣を突破することは不可能です。特攻の掛け声ばかりでは勝てるとは思えません」

「いまの若い搭乗員の中に、死を恐れるものは誰もおりません。ただ、一命を賭して国に殉ずるためには、それだけの目的と意義がいります。しかも、死にがいのある戦功をたてたいのは当然です。精神力一点ばかりの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい」

「ここに居合わす方々は指揮官、幕僚であって、自ら突入する人がいません。必死尽忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが、敵の弾幕をどれだけかいくぐったというのですか?失礼ながら私は、回数だけでも皆さんの誰よりも突入してきました。今の戦局に、あなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか!?」

「飛行機の不足を特攻戦法の理由の一つにあげておられるが、先の機動部隊来襲のおり、分散擬装を怠って戦列にならべたまま、いたずらに焼かれた部隊が多いではないですか。私のところは、飛行時間二〇〇時間の零戦操縦員も、みな夜間洋上進撃が可能です。全員が死を覚悟で教育し、教育されれば、敵戦闘機群の中にあえなく撃ち落されるようなことなく、敵に肉薄し死出の旅路を飾れます」

「劣速の練習機が昼間に何千機進撃しようと、グラマンにかかってはバッタのごとく撃ち落とされます。二〇〇〇機の練習機を特攻に狩りだす前に、赤トンボまで出して成算があるというのなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。私が零戦一機で全部、撃ち落としてみせます!」

(渡辺洋二 著「彗星夜襲隊」より)
美濃部正海軍少佐が居並ぶ海軍航空隊司令や幕僚らの前で言い放った言葉。人の命の尊厳を決してセンチメンタルに唱えているわけではない。そこには自らの命を何かに捧げるからには、そこにそれ相応の価値を見出さなければ、無駄死だけはするわけには行かないという強い意思が込められている。

美濃部正少佐の率いる芙蓉部隊はこの後、九州南部から沖縄本島の米軍に対して何度も夜間攻撃を行っている。一四〇〇キロの漆黒の闇の中を自動操縦装置もないレシプロ機で飛行し、戦闘を行い、そして帰投する。一回あたり四~五時間の飛行。しかも、その間は片時も気を抜くことは出来ない。一歩間違えば即、死と隣合わせの戦い。

大切な友人に「死にたいと思ったことがあるか」と問われた時、脳裏に最初に浮かんだのはこのシーンだった。特攻で死んでいった人たちを無価値だとか犬死にだとかいうつもりは毛頭ない。
そうではなく、死ぬという選択肢が単なる逃げ道であってはいけない。死ぬ覚悟があるなら懸命に命がけで生きて戦って、自らの命と引き換えにするくらいの「戦果」を挙げなければ、行きたくても生きることの出来なかった先人たちに合わす顔がない。
と、私は考える。

本書には、残念ながらこの言葉に対する上官の返答は記載されていない。

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